近況報告
こんにちは。
こちらは
「ひとりひとりともに」を形にする様子を記録するためのブログ
ひとりひとりともにブログです。
実験開始したこと
①ひとりひとりともにミーティングはじめました。
個人的に声かけさせていただいた方たちと1回目のミーティングを行いました。
その日の気分体調にはじまり、簡単な自己紹介をしあいました。
「『ひとりひとりともに』の集まりを回を重ねていこう」ということになりました。
②「障害者就労の枠」で短時間就労始めました。
・自分が障害者(ADHD・自閉症スペクトラム)であることがわかるまで20箇所ほど転職の経験があります。
・障害者手帳を取得してから【A型作業所】【B型作業所】【就労移行支援】に通所してみました。
・一般企業の障害者枠で、短時間のパートを開始しました。
午前10時〜午後1時までの3時間週5日の勤務から始めて
ゆくゆくは20時間/週以上の勤務になる予定です。
その他あいた時間は「訪問当事者研究」ならびに「ひとりひとりともに」の活動の具体化に充てたいと考えています。
③訪問当事者研究をはじめました。
2017年の3月に訪問させていただいたのが初めで、もうすぐ1年になろうとしています。
わたしともうひとり、原則二人セットでの訪問です。
毎月1回継続して訪問させていただいているお家は現状4軒です。
「訪問当事者研究」といっても、訪問先で当事者研究をしているわけではありません。
こちらについてはいずれ、なにかの形で発表できることがあればと思っていますが、
訪問先の承諾が必要になる部分があり公開する内容については精査したうえで決めていきたいと思います。
ご覧いただきありがとうございます。
いつか、お会いしましょう。
ネットにポワン
こんにちは。
カサカサした黄色い葉っぱや赤い葉っぱを、踏んでカシャカシャいわせてきました。
全体的に色のついた公園を空と一緒に見上げると、なんだかたのしいです。
この写真は以前知り合いの仕事場に寄った際に撮った、定規です。
定規のある机がその人の仕事場で、その机の上で作業されたものが商品となっていきます。
一人で作業するので、この机がその人の同僚みたいなものだろうか。
と感じたのでしょうか?
ポートレートを撮るようにわたしはキワキワに近寄ってシャッターを押しました。
「未来食堂」のホームページを見ていたとき、「おふくろさん弁当」というところの人と対談イベントがあることを知りました。
当日は用事があって行けなかったのですが、「おふくろさん弁当」ってなんだろう?と思って
アマゾンで検索し、本があったので注文して、読みました。
「おふくろさん弁当」は
タイトル
「本当にあった!こんな会社 規則も命令も上司も責任もない!幸せをはこぶ会社おふくろさん弁当」という長いタイトルに表されている(わかりやすい!)通りの仕事場のようです。
YouTubeでも「おふくろさん弁当」を検索していただくと動画で様子がみられます。
まったくだ。
ほんとうにそうだ。
こういうことがしたい。
そう感じました。
「おふくろさん弁当」いいな、と思うのは
問題が起きた時に「なにが起きているか?」を研究的な態度で観察するような体質にみんながなっているそうなんですが、それがいいなって思います。
「働き場」で「なにが起きているか?」をすっ飛ばさない、って
当事者研究の態度にも似て、わくわく希望を感じます。
わー。
さいきん、ふと
「あれ?ちょっと楽かも」と感じていて
これはなんだろう?と思いました。
振り返ってみると、ここ1年の変化といえば、当事者研究をたくさんやっているということでした。
B型作業所2箇所、就労移行支援センター、自分の通所している就労移行支援センター、訪問、と
やっていない月はないほどです。
つい1〜2年ほど前までは、足元に着地点がなく
どっちに行くにも不確かで、後にも先にも進み方というか足場がないように感じていました。
出した足元に瞬間地面が現れて、進むと途端に消える、
というような恐々ふわふわとした寄る辺ない感覚でした。
それが、ここ最近は
先がわからないのは変わらないのですが
足元を見ると「ああ、あるある」というような
足跡がたくさんある上に立っている安心感があります。
この足跡は、当事者研究の場でわたしの中に入ってきたひとりひとりの体験でした。
かつての「自分はおかしいのか?」「なにが正しいのか?」という漠然とした不安のような疑問は
「自分の当たり前があってあたりまえなのだ」という「確かさ」に変わっていました。
それはみんなひとりひとりの「当たり前」が、自分に重なる部分がとても多かったからだと思います。
たとえひとりひとりの体験がわたしとは違うとしても「その人の当たり前」が見えると安心する、ということが起きています。
ひとりひとりのひとつひとつの足跡は
書き換えれば細い糸のようにも例えられます。
いつのまにか細い蜘蛛の糸のようなネットの上に、わたしはポワンと浮いていました。
楽チンです。
↑
この感覚が、ここ最近の「楽」という感覚の正体のような気がしています。
ご覧いただきありがとうございます。
いつか、お会いしましょう。
広場ノート
こんにちは。
写真はほぼフィルムで撮って、写真屋さんに現像してもらって、データをCDにしてもらっています。
露出を調整していたら、真っ白なところに日輪が写っていることがわかりました。
太陽の光って、すごい。
カメラって、すごい。
空って、すごい。
なんかあるっぽい、とシャッターを押したわたし、すごい。
道具から入ります。
カメラも、まず中古で一眼レフカメラを買うところから始めました。
撮り方は知りませんでした。
ノートを買いました。
「これからやっていきたいこと」について
まずノートを買いました。
「これからやっていきたいこと」について、まだやり方を知りません。
みんなとミーティングしながら「やり方」を模索していくために
ボワンとある「粒」たちを
触れるくらいには見えるようにしなくては扱えません。
見えるようにするための広場が、ノートです。
「模索」そのものを、商品化したいと考えています。
でもまだ「粒」の状態です。
暗黙知モクモク→ピカっと星座
にする作業は、みんなとやります。
暗黙知モクモク→ピカっと星座
「 ここ!」が、重なり合って
何層にもなってミルフィーユ化した際には
立体的な形が見えてくると思います。
それが共有され吸収され、みんなの更なる暗黙知となり
更にミルフィーユ化が進み
ひとりひとりの中に「ピカっ」が起き
際限がないですね 笑
「これからやっていきたいこと」は、わたしの中にあるのか
それともみんなの中にあるのか
それともどこかの知らない人の中にあるのか
おそらくそれらが重なったところ、にあると思います。
ご覧いただきありがとうございます。
いつか、お会いしましょう。
「暗黙知」って、粒のこと?
こんにちは。
これはなんと表現したらいいものか‥‥。
と思っていたものに「名前があった!」という経験はありますか?
「暗黙知」という言葉が、最近ではわたしにとってのそれでした。
引き続き、書籍
「全員経営 自律分散イノベーション企業成功の本質」
41ページより引用
「暗黙知は、言葉や文章で表現することが難しい主観的な知で、個人が経験に基づいて暗黙のうちに持つものです。」
と、あります。
25歳の頃(ちなみに現在51歳です)
「身体を通り抜けていく」
「わたしはまるでフィルターだ」
と、環境と自分の感覚との関係に想いを馳せていました。
「身体を通り抜けていく『なにか』」は、具体的にはなんであるか言い得ることはできません。
否定形でしか表現できませんが、
「無視できない」「ない、とは絶対いえない」というような「なにか」でした。
イメージはこんな↓
この時のフィルターにかすっている接点が、「粒」
と、わたしが呼んでいるものです。
「粒」は、「海」のように茫洋としたなかに浮いています。
この粒はどんどん蓄積されています。
似たような粒が入ってきたときは、過去の粒と反応しあって
まるで「星座?」というようなつながりになって
「意味」が立ち現われることがあります。
「粒」の海、スノードームにわたしが浮かんでいるようです。
スノードームこれすべてで「わたし」、といいたい感じがしています。
なんども繰り返し立ち現われる星座は
足場となって日常を安定したものにしてもくれるようです。
ときに「ビックリ」することが起きれば
スノードームはひっくり返り、星座にみえていたつながりも
一瞬間、バラバラちりぢり
海の藻屑となります。
落ち着くには時間の経つのを待つしかありません。
こういうことが起きている、
このような仮説を立てています。
たのしいですね。
仮説を立てたりは、わたしはたのしいです。
暗黙知、と呼んでもいいのでしょうか。
これからも考えてみたいと思います。
ご覧いただきありがとうございます。
いつか、お会いしましょう。
ホワイトボーダー
こんにちは。
ぐっと寒いですね。
わたしはホワイトボードを描くことが苦ではありません。
苦ではないので、いくらでも描けます。
当事者研究でホワイトボードを担当させてもらう機会がありますが
役立てられるなら活かしたいと思っています。
「ホワイトボード」を担当する人→「ホワイトボーダー」
と、造語を作って周りに伝えています。
その際、「ボーダー」が「境界」という意味もあることを友だちが気付いてくれました。
①「境界性パーソナリティー障害」という診断名がありますが
「境界性パーソナリティー障害」のことを「ボーダー」という言い方をすることがあります。
わたしにはその要素があることを友だちはわかっていますし
自分でも受け入れることはできます。
②「全員経営」という書籍のなかで
「イネーブラー」という用語を知りました。
これも「境界」に関係ある言葉です。
「全員経営 自律分散イノベーション企業成功の本質」
131ページ より引用
「相手の持つ潜在的能力を引き出し、知識創造の活性化を加速する役割をわれわれは『ナレッジ・イネーブラー(knowledge enabler)』と呼びます。イネーブラーとは、『実現可能にする』といった意味合いです。」
「セブン&アイの担当者がイネーブラーの役割を果たせるのは、セブン&アイが小売業という、顧客との境界にいるマージナルな存在であるからです。」
107ページより引用
「‥‥(略)顧客をはじめ、多様なパートナーとの境界にいる人間のことを『マージナルマン』といいます。マージナルとは『境界にある』といった意味合いです。」
引用が長くなりましたが、伝えたかったことは
「ホワイトボード」が、例えば「個人」や「他者」や「過去」や「場所」や
「一見、関係ないと思えていたものとを越境して見えてくるもの」になるなら、いいな
と思います。
「ホワイトボード」、その上にくりひろげられる出来事のひとつひとつ
それを見るひとりひとりの人のなかに
見たことがあるようで、それでいてまったく新鮮な
「場」があらわれたら
これも「ひとりひとりともに」のようだ
と思います。
ご覧いただきありがとうございます。
いつか、お会いしましょう。
ブログ名「ひとりひとりともに」について
こんにちは。
ブログ名の「ひとりひとりともに」は
「べてるの家」の「当事者研究」の「理念」をお手本にしています。
〈当事者研究ノート〉
〈当事者研究ノートのページ〉より抜粋
「当事者研究は、かかえる苦労を大切なものと考え、人に心配され、管理される暮らしではなく、自分の『苦労の主人公』になろうとするところからはじまりました。
そして、仲間と苦労の経験を分かちあいながら、自分らしい生き方、暮らし方を一緒に考え、模索(もさく)していくところに新たな発見が生まれます。
その理念が『自分自身で、ともに』です。」
と、あります。
この理念が、
「ひとりでいたい」「人と共鳴したい」
どちらかではない、ふたつの想いが同居しているわたしの、
苦労が同時に希望にもなり得る「手がかり」として
身近にあります。
下手な図で申し訳ありません。
これは、自分の苦労に行き当たっていた真っ最中の6年ほど前に
名刺に入れていたイラストです。
世界に現れている一人一人、一つ一つの物体は
現象として個体で現れているけれども
すべてつながっている。
だから人や社会も含めた環境に影響を受けるし
影響を与えている。
6年前に名刺をつくったきっかけは
「自分の働ける場所」がこの世に存在しないように感じていたから
「自分がはたらく(作用する)場所」を作らなきゃ!という焦燥感で
いろいろな人とつながりたかったからでした。
「ひとりで生きて行くことはできない」
これは思想ではなく、人間という生き物の前提としてそうなのだ、
と今は思うようになりました。
「ひとりひとり、だけど、ともに」
「ひとりひとり、だから、ともに」
「ひとりひとり、で、ともに」
というような気持ちです。
ご覧いただきありがとうございます。
いつか、お会いしましょう。
ひとりひとりともにブログ。
こんにちは。
「キャベツの千切り」について調べていたら
という記事に行き当たりました。
わたしはなぜキャベツの千切りを調べていたのだろう…
思い出そうとしましたがまったく思い出せません。
このブログにある「未来食堂」という試みに心奪われ、触発され、わたしの中の「やりたいこと」がモクモクしてきたからかもしれません。
既にご存知でしょうか?
「小林せかい」さん。
をひらくためのブログを書かれていたこの方の著作があることを知り、現在出版されている3冊を購入し
ダダダダダっと読みました。
モクモクは
ガタタタタンと震えて
んばっ、っと成って
「ブログを書こう」って、なりましたなう。
具体的には
「やりたいことがある人は未来食堂に来てください」小林せかい著
79ページあたりに書かれてあることを読んで、そう思うに至りました。
フミフミ 二の足踏んで足踏みしているより
「やらない」より
「やろう」を選択したい。
ここに、「形」にしてみせた小林せかいさんの「やったことお手本」がある。
お手本に背中を押していただいて
わたしなりの、身の回りの風景をスケッチしていきます。
はじめまして。
こちらは、「ひとりひとりともに」を形にする様子を記録するためのブログです。
わたしの中には
「ひとりでいたい」と「みんなと共鳴したい」と
ふたつの想いが同居しています。
どちらかだけ、ではない
というのがわたしの苦労であり
希望でもある
という気がしています。
こういう人は、実はけっこう
たくさん居るかもしれない
こういう人たちと、共になにかできたらいいな
おまけにその「なにか」で
他の人の中にも歓びが伝播していったらいいな
「形にすること」
「伝えること」
そこに至る様子を記録するブログを始めます。
ご覧いただきありがとうございました。
いつか、おあいしましょう。