「暗黙知」って、粒のこと?
こんにちは。
これはなんと表現したらいいものか‥‥。
と思っていたものに「名前があった!」という経験はありますか?
「暗黙知」という言葉が、最近ではわたしにとってのそれでした。
引き続き、書籍
「全員経営 自律分散イノベーション企業成功の本質」
41ページより引用
「暗黙知は、言葉や文章で表現することが難しい主観的な知で、個人が経験に基づいて暗黙のうちに持つものです。」
と、あります。
25歳の頃(ちなみに現在51歳です)
「身体を通り抜けていく」
「わたしはまるでフィルターだ」
と、環境と自分の感覚との関係に想いを馳せていました。
「身体を通り抜けていく『なにか』」は、具体的にはなんであるか言い得ることはできません。
否定形でしか表現できませんが、
「無視できない」「ない、とは絶対いえない」というような「なにか」でした。
イメージはこんな↓
この時のフィルターにかすっている接点が、「粒」
と、わたしが呼んでいるものです。
「粒」は、「海」のように茫洋としたなかに浮いています。
この粒はどんどん蓄積されています。
似たような粒が入ってきたときは、過去の粒と反応しあって
まるで「星座?」というようなつながりになって
「意味」が立ち現われることがあります。
「粒」の海、スノードームにわたしが浮かんでいるようです。
スノードームこれすべてで「わたし」、といいたい感じがしています。
なんども繰り返し立ち現われる星座は
足場となって日常を安定したものにしてもくれるようです。
ときに「ビックリ」することが起きれば
スノードームはひっくり返り、星座にみえていたつながりも
一瞬間、バラバラちりぢり
海の藻屑となります。
落ち着くには時間の経つのを待つしかありません。
こういうことが起きている、
このような仮説を立てています。
たのしいですね。
仮説を立てたりは、わたしはたのしいです。
暗黙知、と呼んでもいいのでしょうか。
これからも考えてみたいと思います。
ご覧いただきありがとうございます。
いつか、お会いしましょう。