ネットにポワン
こんにちは。
カサカサした黄色い葉っぱや赤い葉っぱを、踏んでカシャカシャいわせてきました。
全体的に色のついた公園を空と一緒に見上げると、なんだかたのしいです。
この写真は以前知り合いの仕事場に寄った際に撮った、定規です。
定規のある机がその人の仕事場で、その机の上で作業されたものが商品となっていきます。
一人で作業するので、この机がその人の同僚みたいなものだろうか。
と感じたのでしょうか?
ポートレートを撮るようにわたしはキワキワに近寄ってシャッターを押しました。
「未来食堂」のホームページを見ていたとき、「おふくろさん弁当」というところの人と対談イベントがあることを知りました。
当日は用事があって行けなかったのですが、「おふくろさん弁当」ってなんだろう?と思って
アマゾンで検索し、本があったので注文して、読みました。
「おふくろさん弁当」は
タイトル
「本当にあった!こんな会社 規則も命令も上司も責任もない!幸せをはこぶ会社おふくろさん弁当」という長いタイトルに表されている(わかりやすい!)通りの仕事場のようです。
YouTubeでも「おふくろさん弁当」を検索していただくと動画で様子がみられます。
まったくだ。
ほんとうにそうだ。
こういうことがしたい。
そう感じました。
「おふくろさん弁当」いいな、と思うのは
問題が起きた時に「なにが起きているか?」を研究的な態度で観察するような体質にみんながなっているそうなんですが、それがいいなって思います。
「働き場」で「なにが起きているか?」をすっ飛ばさない、って
当事者研究の態度にも似て、わくわく希望を感じます。
わー。
さいきん、ふと
「あれ?ちょっと楽かも」と感じていて
これはなんだろう?と思いました。
振り返ってみると、ここ1年の変化といえば、当事者研究をたくさんやっているということでした。
B型作業所2箇所、就労移行支援センター、自分の通所している就労移行支援センター、訪問、と
やっていない月はないほどです。
つい1〜2年ほど前までは、足元に着地点がなく
どっちに行くにも不確かで、後にも先にも進み方というか足場がないように感じていました。
出した足元に瞬間地面が現れて、進むと途端に消える、
というような恐々ふわふわとした寄る辺ない感覚でした。
それが、ここ最近は
先がわからないのは変わらないのですが
足元を見ると「ああ、あるある」というような
足跡がたくさんある上に立っている安心感があります。
この足跡は、当事者研究の場でわたしの中に入ってきたひとりひとりの体験でした。
かつての「自分はおかしいのか?」「なにが正しいのか?」という漠然とした不安のような疑問は
「自分の当たり前があってあたりまえなのだ」という「確かさ」に変わっていました。
それはみんなひとりひとりの「当たり前」が、自分に重なる部分がとても多かったからだと思います。
たとえひとりひとりの体験がわたしとは違うとしても「その人の当たり前」が見えると安心する、ということが起きています。
ひとりひとりのひとつひとつの足跡は
書き換えれば細い糸のようにも例えられます。
いつのまにか細い蜘蛛の糸のようなネットの上に、わたしはポワンと浮いていました。
楽チンです。
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この感覚が、ここ最近の「楽」という感覚の正体のような気がしています。
ご覧いただきありがとうございます。
いつか、お会いしましょう。